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ぼっちの体験談をブログに書くのは「酔っぱらいの自分語り」と同じなのか?

 

「ああ、また始まったわー」
飲み会で、隣に座ったいつもの酔っぱらいが始める自分語りにこんな想いを抱きながら、愛想笑いを返した経験はありませんか。


わたしは飲み会ではあまり周囲にお酒を注ぎに行ったりせずに、静かに自分の席で座っているものですから酔っぱらいがやってきて、自慢話や過去話などの自分語りをしてくる事が多いのです。

たんつぼに、ノドをいがらして吐きつけるようなものでしょう。

彼らにとって別に相手は誰でも良いのです。話を黙って聴いてくれそうな人間だったなら。
反論などせずに、愛想笑いを返せばそれで満足してくれます。

このことについて考えていると、ふと、
「ブログでぼっちの体験談を書くのって、酔っぱらいの自分語りと同じなんじゃ?」
という疑問が湧き出てきました。

その疑問は、こうも言い換えられます。
「ぼっちの体験談をブログで書いても、誰も見てくれないのでは?」

非常に悩ましい問題でした。わたしはぼっちである自分が過去に体験したことや、仕事で辛かったことをブログで書こうと思っていましたから。

ブログで「ぼっちの体験談」を書くことに対して、色々と思ったことを書いていきます。

目次

そもそも酔っぱらいの自分語りって

人よりもお酒が強いか、お酒が飲めない人は、しばしばお酒に呑まれてしまった人の話を聞く機会があると思います。

特にある程度の年齢の人たち、上司と呼ばれる役職に当たるような年齢の人たちは以下に上げるような話しをする傾向にあります。

自慢話パターン

自分がどういう功績を挙げてきたのかを延々と述べ続けるパターンです。

内心は自分がどれだけ素晴らしい人間か周囲に認めさせたい、という思いでいっぱいなのですが、聴いているこちらとしては「うっとうしい」の一言に尽きる事がほとんど。

聴いている側が何かを得られるということは少なく、強いて言うなら「こういう自慢話をする人間にはならないでおこう」という反面教師的な効果はあるかもしれません。

苦労話パターン

上に挙げた自慢話パターンから派生することも多いのですが、こちらは自分がどれだけ苦労を重ねてきたかを知らしめて、「その苦労をしていないお前は俺より下だぞ」と暗に悟らせようというものです。

中には、苦労した経験を後輩にさせたくないという聖人のような御仁もいるのですが、ごく少数になります。

今の若者は~論

年配の方は本当にこれをよくするんですよ。
絶対に若い人からすれば受け入れられない論理だということは、ちょっと考えたら分かるのですが、酒を飲んでいるせいか、それとも人の気持に対して鈍いのか、酔っ払ったら、この手の話をする人は飲み会の席ではかならず何人か現れます。

この手の話をする人に共通して言えることは、
「歳を重ねたことだけが、若者に対して長所となっている人」
であることです。

残念ながら、歳を重ねるだけだったら健康にさえ気をつければ、この国ならさほど難しいことではないはず。まして会社員なら尚更です。

こんな風になりたくはないと常々思っているのですが、将来どうなるでしょうね。

単に過去を書くだけなら、酔っぱらいと変わらない

前項からは酔っぱらいの話というのは、過去の話である、と言えます。

もちろん、酔っぱらいはアルコールで頭がふんわりしていますし、他人のことを考えずに自分語りを延々と続けてしまっても仕方ない部分もありますが。

「ぼっちの普通の日常」だけに人は興味を持っていない

自分はぼっちだし、どういう暮らしをしているかブログに書いていこう。
それ自体は悪い取り組みではありません。

別にPVが増えていかないことが気にならないなら、自分の日記代わりとしてブログを書いていくなら、それでまったく問題ないわけです。

問題は、「ブログを書いているのに誰にも見られない」状態が苦痛になり始めたときです。

世の中のほとんどの人は「ぼっちの日常」自体には、さほど興味がありません。
この事実に気づかなければ、ぼっちがブログで体験談を単に書いていったとしても、誰にも見てもらえない状態から永遠に抜け出せないでしょう。

みんなの日常は忙しい

なぜ、ぼっちの日常に普通の人たちは興味がないのか。
それは単純に、忙しい、からです。

TwitterFacebookなどのSNS、リア友との交遊、会社や学校。
世間の大部分を構成する人々は、自分の周囲のことを処理するのに精一杯になっています。自分のことを処理し終えて、ほんの少しできたスキマ時間がブログを読む時間なんです。

その「ほんの少しの時間」に、どういうブログを読むでしょうか?

もちろん、リア友の日記みたいなブログなら読むかもしれません。しかし、現実で面識もない、ぼっちの日記を読む暇はほとんどの人にはないのです。

少ない時間を割いてでも読みたいと思う価値がなければ、ぼっちのブログは誰にも読まれないことにわたしは気付いたのでした。

ブロガーと酔っぱらいの違い

酔っぱらいはアルコールに脳を侵されていますから、当然のことながら理性的な判断はできません。文章もろくなものが書けないはずです。

これはウィスキーでもグッとあおってから、ブログの記事を書こうとすれば実感できることでしょう。

しかし、ブログを書く時に酔っ払っていないなら、出来ることはあります。もし、沢山の人に見てもらいたいと思うのならば、書こうとする内容に気を配れば良いのです。

ぼっちが体験談を書くのならば、普通に書いても読んでもらえません。気を付けなければいけないポイントがあるのです。

過去を書く「意味」を認識しよう

ぼっちは、ぼっちなりに普通の人とは違う人生を歩んできています。
もちろんその体験自体は誰しもが出来ることではありませんから、価値のあるものです。

自分が書きたいと思う過去の体験があるならば、どうしてその体験を書きたいと思ったのか、その体験を書く意味は何なのかをしっかり自分の中で認識しておく必要があります。

書きたいと思うほどの体験な訳ですから、自分の中に何かしらの想いが生まれているでしょう。その想いにしっかり目を向けることで、ぼっちが過去を書くことに価値を付けるのです。

その過去から何を得たのか

ぼっちである自分の過去は、もしかしたら他人から見た時に悲惨かもしれません。

悲惨な部分だけをさらけ出したとしても、ほとんどの人には受け入れられないのです。
それは大きな怪我をした傷跡を見せつけるようなものですから。

大切なのは、その過去の体験から何を得たのか、ということ。
つらさ、しんどさ、悲しみを味わった後に、同じ思いをしないために何を学んだのか。

自分が学んだことは、意外と誰かの役に立つものです。自分と同じつらさを、今味わっている人に向けて書けば、困っている人を救える可能性だって有るでしょう。

誰かを笑顔にできそうか

体験したことのつらさや悲しみは、時間が経てば薄れてきます。
後で思い返してみると、つらい体験をしたはずの自分ですら笑ってしまうということもあったりします。

ブログだったら、自分の不幸話を面白おかしく話してもデメリットはありません。
単に不幸自慢をするのではなくて、その不幸をとっかかりにして誰かを笑顔にすることができれば、自分も他人も幸せにできます。

おわりに

最終的には、
「ぼっちの体験談も考えて書くなら、酔っぱらいの自分語りと同じではない」
という結論に行き着きました。

やっぱりわたしはブログを書く以上、多くの人に見ていただきたいし、叶うならば多くの人に共感してもらえる、良いと思ってもらえるものを書いていきたいです。

これから、

  • 笑ってもらえるか
  • なるほど、と思ってもらえるか

この2点に注意して、自分も体験談を書いていきます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。
結木フミアキでした。